さまざまな分野で活躍し、経験や専門知識、高い見識を持った職業人が会員となり、世界の平和を目的に活動する、100年以上の歴史を持つ世界的な組織です。
世界200以上の国と地域にネットワークがあり、日本には34地区、2,205のロータリークラブがあり、83,895人の会員がいます(2024年4月末現在)。
会員の中には、世界に名だたる企業人、著名人も多数在籍しています。
会員は、ロータリークラブの所在する地域に居住、または勤務しているため、地域のニーズを知ることができます。
そのニーズに対して、会員の経験やネットワークを生かしたサポートを行うことを最優先とする活動を行っています。
会員は、全世界に広がるロータリークラブのネットワークを利用し、海外のさまざまな地域でも活動を行っています。
特に貧困、飢餓、環境、非識字、暴力などの問題に対応するために、人道的支援、経済支援を行っています。
また、海外の人々に他国の文化を伝えたり、教育・職業訓練を提供する活動を通じた国際交流にも力を注いでいます。
国際ロータリーが、初めてポリオの予防活動を実施したのは1979年です。生後3カ月から36カ月の子ども約600万人に対して、5年計画でポリオ免疫接種活動を実施しました。1985年2月、ロータリー創立80周年に当たって、国際ロータリーは、ポリオプラス計画を発表。このときから、全世界のロータリークラブの会員たちが、ポリオ根絶のための資金集めやワクチン投与のための活動を続けています。
現在国際ロータリーでは、世界保健機関(WHO)、ユニセフ、アメリカ疾病対策センターのパトーナー組織と連携を取り、ポリオ根絶の活動を進めています。
その結果、1985年当時、野生のポリオウイルスによるポリオの発症は世界中に蔓延していましたが、現在では、アフガニスタン、ナイジェリアの2カ国を残すだけとなり、その発症数も激減しています。
しかし、残された地域は辺境の地だったり、紛争地帯であったり、また、宗教上の理由で予防ワクチンの投与を受け入れなかったりと、子どもたちにワクチンを投与するのは非常に困難であるため、ポリオの根絶のためには、まだ多くの資金や労力を要します。国際ロータリーの活動を評価したビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団からの3億5,500万ドルの寄付を受け、現在、国際ロータリーでは、「ロータリー2億ドルのチャレンジ」と称して、ポリオ根絶のための2億ドル資金を集める活動を展開しています。会員たちが募金活動をしている姿を見かけたら、ぜひご協力ください。
世界には、きれいで安全な水を手に入れることのできない人たちがたくさんいます。わずかな水を手に入れるために、遠くまで歩いていかなければいけない人が大勢いるのです。そのため学校に行けない子どもたちがいます。また、川や井戸の汚染により健康を害しながらも、その水を飲まざるをえない人たちもいます。
そういった人たちに、きれいで安全な水を届けようと、世界中のロータリークラブの会員たちは井戸を掘ったり、簡易水道を引いたりしています。井戸を掘っても安全な水が出ないところでは、浄化装置や、フィルター付きの井戸を提供しています。
世界中には、文字を読めない人がたくさんいます。文字が読めなければよい仕事に就くことができず、一生貧しい生活から抜け出すことができません。当然、子どもたちを学校に通わせることもできず、結局は、貧困の連鎖を断ち切ることができません。
会員たちは、発展途上国のへき地の村に学校を建てたり、貧しい子どもたちにノートや鉛筆を贈ったり、読み書きの勉強を支援する活動を行っています。
ロータリーでは子どもたちだけではなく、家計を支えることができるようにと、成人女性への支援にも力を入れています。
1947年、大学の学部生や大学院生などを対象に奨学金を支援することを目的とした「ロータリー財団親善奨学金」が創設されました。また、2002年には、「平和および紛争解決の分野における国際問題研究のためのロータリー・センター」が設置され、現在は世界6カ所に設置されています。そのうちひとつが東京の国際基督教大学にあり、ロータリー平和フェロー(奨学生)が学んでいます。
日本で学ぶ海外留学生のための奨学金制度「ロータリー米山記念奨学金」の特徴は、奨学生一人に1つのロータリークラブが世話クラブとなって、留学生活の精神的な支えとなっている点です。国内では民間最大の奨学事業となっています。これまでに支援してきた奨学生数は、累計で22,875人(2022年7月現在)。その出身は世界129の国と地域に及びます。
1905年当時、シカゴは、商業の爆発的発展、社会不安、政治の腐敗…、高層ビルがそびえ立つ人口160万人の大都市でしたが、自動車がようやく実用段階に入ったばかり、まだ馬車のほうが幅を利かせていた時代でもありました。そんなシカゴで、弁護士のポール・ハリスとその友人3人が、シカゴのダウンタウンにあるビルの一室に集まりました。ポール・ハリスはその一室で、それぞれの職業を通して得た経験や情報を共有する方法と、互いに協力しながら気取らない友情を深めるための簡単な計画を提示しました。それが、ロータリークラブの始まりです。
ロータリークラブの名前は当初、会員の事務所持ち回りで会合を開いていたことに由来します。
最初は、会員の友情と互恵的なビジネスがロータリークラブの中心テーマでしたが、1906年、弁理士のドナルド・カーターの入会によって、地域社会に貢献する活動を開始。当時、シカゴの街になかった公衆トイレを設置したり、貧民街に食べ物の詰まったバスケットを届けるといった活動を開始しました。
ロータリークラブはやがて海外へも広まり、発足12年後の1917年にはすでに、約300のクラブに約3万人の会員を擁するまでに成長していました。
このときの国際ロータリークラブ連合会(1923年、「国際ロータリー」に名称変更)会長のアーチ・クランフ氏が、国際大会で「ロータリー基金をつくり、全世界的な規模で、慈善、教育、その他社会奉仕の分野で、何か良いことをしようではないかと提案し、「ロータリー基金」(現、ロータリー財団)ができました。
最初に寄付された金額は、26ドル50セントでした。
1920年10月20日、米山梅吉によって、東京ロータリークラブが創られました。同クラブは、翌1921年4月1日、世界で855番目のクラブとして承認されました。
1923年9月、関東大震災によって東京と横浜は壊滅的な被害を受けましたが、このニュースを知った世界中のロータリークラブから、続々と義援金が寄せられ、その総額は8万9,000ドル(現在のお金に換算して約3億円)にも達しました。
東京ロータリークラブはこの義援金を、東京や横浜の小学校の再建、被災者の救援、殉職警官遺族への援助などに充てました。
世界中の仲間たちからの温かい支援を受け、東京ロータリークラブの会員たちは、初めてロータリークラブとはどういうものなのかを身にしみて理解し、この出来事がその後、日本のロータリークラブの会員たちが熱心に活動を続ける原点となったのです。
二つの世界大戦は、ロータリークラブに大きな試練を与えました。とくに、第二次世界大戦では、アメリカと敵対していた国々のロータリークラブが次々に解散に迫られ、それは日本のロータリークラブも例外ではありませんでした。
他国の会員たちがそうであったように、日本の会員たちも、ロータリークラブが解散しても、名前を変え、会合を持ち続けていました。東京ロータリークラブは水曜会、その他のクラブも例会を開催する曜日などにちなんだ名前をつけていました。
第2次世界大戦が終わると、戦時中脱会していた国々のロータリークラブが国際ロータリーに復帰します。日本のロータリークラブが復帰を認められたのは1949年のことです。その後、日本中にロータリークラブが創立されていきました。
男性だけでスタートしたロータリークラブですが、時代の変化に合わせ、1989年7月1日から、女性が入会できるようになりました。現在、世界では全会員の約25%、日本では約10%を女性会員が占めています。さらに、クラブの会長や幹事、国際ロータリー(RI)の要職を務める女性会員も増え、2022-23年度には初めて女性のRIが誕生しました。2024-25年度には、2人目の女性のRI会長が就任しています。
ロータリークラブでは1週間に1回、例会を開催しています。例会の曜日や時間はそれぞれのクラブで異なりますが、ほとんどのクラブでは、食事を共にして会話を楽しみながら、会員同士の親睦を深めています。
さらに、毎週ゲストスピーカーを招き、30分程度のミニ講演会も行っています。ゲストスピーカーの多くは、企業のトップや研究者、作家や音楽家など、一線で活躍している方たち。講演内容は多岐にわたり、会員の学びの時間、仕事やロータリークラブにおける活動のヒントにもなっています。